1954年版の「讃美歌」(いわゆる第1編)は567番まであるのだが、そのうち491番から538番までの表題は「雑」。
この文字は一般的には「ざつ」と読まれて、「やり方が念入りでなく大雑把なこと」「いろいろなものが入り交じっている」「多くのものが統一無く集まっている」という、どちらかというとネガティブな印象を与える。だが讃美歌も「歌の集め」だとすれば「雑」は「ぞう」と読まれ和歌・俳諧の分類の一つとなり、「はっきりした部類のどれにもはいらないものをまとめた」モノという意味になる。教団賛美歌委員会としてはこっちを採用したのだろうなぁとかなり温情的な推測が出来る。
「雑」といえば身近なところに「雑草」というのがある。人によっては名のある草花なのにある人たちにとっては「雑草」に過ぎない。それは「その人にとって意味のあるモノかどうか」で別れるという言説を聞いたことがあった。そうであれば無意味・無関係なモノが「雑」ということになるかもしれない。
ところが先日小さな会合があってその中でいろいろな話が出たのだが、50年ほど続くある人たちの「グループを長持ちさせるコツ」が秀逸だった。そのコツとは、何か簡単な手作業をするために集まり、作業をしながらいろいろな雑談をすることだという。雑談の中から進むべき方向が見つかったり、面白い情報が巡ったり、次に集まる必然が生まれたりするのだと。「雑談」とは「特にテーマを定めないで気楽に会話すること」などと定義されるが、その会話の中から活力が生まれてくるということが実際にある訳で、その効果は決して軽視出来ない(何よりその「会」は50年の実績を持つのだから)。
便利な世の中になって、会議も足を運ばなくて可能になった。それはそれで意味も価値もあるが、足を運び顔を合わせ、時には手を使いながら交わされる「雑談」に、だからこそもっとスポットを当てる必要もあるだろうなぁ。成果を期待しないでさ。
2025
07Sep
四谷快談 No.232 「雑」考
